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どさんこワイドで紹介されるそうです!

 浦河町内にある平田染工場さんが、テレビで紹介されるそうです!

遅ればせながら、マルセイニュース61号でご紹介させていただいた内容を
ここでご紹介です^^

  染元 平田染工場  平田貴敬さん




「いつか、見学させてください。」と以前からお願いしていてとても楽しみにしていました
気持よく、2010年のお正月を迎えていただきたいとの願いを込めて大漁旗を染める貴重な「印染め」の技術を継承されている、平田染工場さんのご紹介です 



創業77年の歴史を持つ平田染工場。兄弟全員が職人だったという初代の平田利雄さんが、お菓子屋を営んでいたお兄さんを頼って旭川の東神楽から浦河へ移住。現在の地で、染元・平田染工場の礎を築きました。
 






 息子の
和敬(かずゆき)(かおる)さんご夫妻がその技術を継承し、 昭和の景気の良い時代には何人ものパートさんを雇い入れながら、たくさんの受注に応えてきたそうです。染工場が大忙しだったこの頃は、大漁旗の受注だけでも相当な枚数を染め上げていました。浦河港に活気がみなぎっていた当時は新造船に掲げるお祝いの大漁旗の数も、一隻の船で50枚~60枚もあったそうです。そのほとんどの受注に応えていたという当時の平田染工場の盛況ぶりが推測できます。




 
 高度成長期が終わり、時代が大きく変化する中でこの業界も廃業する工場が多く現れ、現在では道内で20件を切るほどしか残っていないそうです。
そんな中で、この貴重な染めの技術が、平田さんの努力によって今なお、浦河には残っています。

 今回のご紹介のために、ちょうどご依頼を受けていた大漁旗の制作過程を見せていただくという幸運を得ましたありがとうございます!





 現在、平田染工場を継いでいらっしゃるのは和敬さんの次男の貴敬さんです。てっきり進学するものと思っていたというご両親に相談することもなく、浦河高校3年生のころに家業を継ぐことを決断したという貴敬さん。高校卒業と同時に新潟県へ染めを学びに出かけ、改めて浦河で家業の全工程を経験したのちに、再度、山形の染工場で染めの技術経験を積んで来ました。







「自分たちの代で辞めるつもりでいたんですよ。それが、全部自分で決めて、こうして頑張ってくれていますが…。色々と大変な時代だから、これで良かったのかどうか…」と、
印染(しるしぞ)めの型抜き作業の手を休めることなくお話を聞かせて下さったのは、お母さんの薫さんです。

お父さんの和敬さんが病で倒れてからもお二人一緒に、今は出来る人も少なくなった「
手糊(てのり)引き染め」の技術を継承しながら、平田染工場を守り続けていらっしゃいます。






「本物の染めは、印刷とは違うんです。」と染めについての質問に答えてくださった貴敬さん。手間暇がかかって当たり前で、出来上がりは全く違う職人仕事への理解の少なさに、少し残念な思いをしていらっしゃる様でした。



染めの方法には様々な種類がありますが、「印染(しるしぞ)め」は、表からだけでなく、裏側からも図柄や模様、マークなどがはっきりと見える染め方です。身近にある染物を手にとってご覧になってください。実は、現在主流のプリントは、表側だけが染まっている布が意外と多いものです。このような染物とは違い、印染めの行程は実に手がかかります。





「下絵→型作り→糊置き→刷毛(はけ)染め→乾燥→水洗い→乾燥→仕立て(縫製)」と、その各作業工程のひとつひとつすべてが繊細で本格的な手作業です。だからこそ、平田さんで染められる大漁旗は、色の深みだけでなく、模様の鮮やかさも美しく見事なものに仕上っているのです。



 


 
 人から人へと受け継がれていく
 貴重な技術の伝承のひとつが、
 こうして浦河に残されていることを知って
 とてもうれしく思いました。

 平田さん、ありがとうございました!


 




            マルセイニュース2009年12月号 第61号より転記
  


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